街なかウォーキング(モデルコース)

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街なかウォーキング

賢治の生家など、花巻の街なかを歩きながらご案内します。 

所要時間 1時間(時間に余裕のある方は2時間)
出発点  賢治の広場(花巻市上町3-4)
(メニュー・バーの地図をクリックしてください。)
料  金 1団体(個人でも可)1時間につき1千円

1時間コース
賢治の広場(出発点)―賢治生家―産湯の井戸―『春と修羅』印刷所跡―稗貫農学校・花巻高等女学校―花城小学校跡―賢治の広場

◎2時間コース
賢治の広場(出発点)―賢治生家―産湯の井戸―農学校通学路―花巻農学校跡―身照寺(賢治墓所)―旧花巻町役場―『春と修羅』印刷所跡―稗貫農学校・花巻高等女学校―花城小学校跡―賢治の広場

 ◎オプション
 街なかから少しはずれますので、ご希望の場合上記コースにオプションとして組み入れます。
・雨ニモマケズ詩碑
・イギリス海岸

 

賢治生家

賢治生家(見学はできない)

1896(明治29)年8月27日(戸籍上は8月1日)、賢治はここ宮沢家の長男として生まれた。実際は、お産が母の実家であったため、産湯をつかったのはここからほど近い母の実家である。賢治の生家は質・古着商を営んでいたが、賢治晩年に家を継いだ弟清六が建築資材を扱う宮沢商会へと転業し、それも昭和20年8月10日の花巻空襲で全焼した。現在の建物は戦後に建てられたもので、清六氏の遺族が住んでいる。

岩手軽便鉄道花巻駅跡

駅跡地に建つ案内標柱

花巻から釜石を結ぶ東北線の支線として、1915(大正4)年に仙人峠まで(その先の峠区間は徒歩)開通した。昭和11年に国鉄に移管された。花巻駅は東北線、軽便鉄道のほかに花巻温泉と鉛温泉に向かう2本の温泉電車の起点でもあった。「シグナルとシグナレス」「岩手軽便鉄道の一月」など軽便鉄道に関連する作品も多い。
 

稗貫農学校跡・花巻高等女学校

女学校通り

賢治が最初に勤めた学校が稗貫郡立農学校。前身は養蚕講習所。生徒が2学年60余名という小さな学校で、隣に県立の花巻高等女学校がありクワっこ大学とあだ名された。女学校には音楽担当教師の藤原嘉藤治がおり、お互いに刺激を受け、親密な付き合いが始まる。この女学校は賢治妹トシの母校でもあり、トシが亡くなる前にここで1年ほど教鞭を執った。
写真は、女学校通りといわれた正門に通じる通り。奥の建物は現在の生涯学園都市会館。

雨ニモマケズ詩碑

花巻で賢治詩碑といえば、ここ雨ニモマケズの碑を指す。今では全国に数多ある賢治の碑でも、ここが一番最初に建立された。揮毫は高村光太郎。碑文の語句に違いがあり、後年に光太郎自身が筆を入れ追刻・訂正した珍しい碑でもある。賢治没後3年目の昭和11年11月21日に建立され、賢治の遺骨が分骨埋葬されている。毎年命日の9月21日にこの碑の前で賢治祭が催される。

イギリス海岸

岩手県を縦断する北上川の中流部、花巻市街地からほど近い川の西岸を賢治がイギリス海岸と名付けた。川底が広く露出すると、日差しで乾ききった青白い凝灰質の泥岩が真っ白に見え、「全くもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いているような気がする」と、命名の由来を書いている。

身照寺(賢治墓所)

宮沢賢治の墓所があるお寺。この寺の前身は日蓮宗花巻教会所で、この教会所設立の賛同を得るため賢治は「法華堂建立勧進文」を書いている。宮沢家は元々浄土真宗であったが、賢治の死後改宗し墓所も移した。
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