権現堂山

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権現堂山

大正7年5月19日付で賢治は「本日は葛の渡しを経、八重畑役場にて案内を得て権現堂山を超えその東の廻館山を廻りて亀ヶ森村八幡館に出で候」と父親に充てて葉書を出しています。盛岡高等農林の研究生として稗貫郡の土性調査に従事していました。
この葉書にある八重畑から権現堂山を経て亀ヶ森へ行く道は、現在では廃れて歩く人はありません。
宮沢賢治・花巻市民の会では、2015年11月18日にこのルートの現地調査をしてみました。土地の古老のお話では、昔は大迫町亀ヶ森への近道で、自転車で通ったこともあるということでしたが、現在はその面影はありません。道は藪に覆われているところもあり、また水の流れ道になって掘れて沢のような状態になりかなり歩きにくいという感じです。道は権現堂山々頂を迂回するように通じており、およそ2kmの山道の後半はゆるやかな降り勾配でした。
賢治は、詩「一〇三四〔ちゞれてすがすがしい雲の朝〕」(詩ノート)で権現堂山を詠んでいますが、花巻温泉付近からこの山の方を見ているようで、権現堂山からは雑木が生い茂って遠景は望めませんでした。

現地の調査図と大正当時の地形図、および今回の調査写真を載せます。

1.権現堂山調査図 PDFファイルを表示
2.5万分の1「花巻」地形図(大正2年測量・同5年発行)PDFファイルを表示

山道の入口付近から西を望むと花巻温泉方面が少し見えた


このような藪の道が続く


水が流れて沢のように掘れたコースの難所



山道の峠付近、右手側を登ると現堂山々頂
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